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夏至がすぎたなぁ 嚥下なできない夏だなぁ [衝動のおもむくまま]

今日で、今年も折返し…

というフレーズがあちこちでささやかれているのだろうけど、
どうも自分的には、
1年の折り返しは、

夏至なのである。

太陽が一番高い、というのに
勝手にロマンを感じてだと思う。

暦の歴史を検証して
"本当の折り返し点は"
などという気にはなれない。

ただ気分的に、1年の半分が終わった、
と感傷にひたるには、
夏至がマッチするってだけ。

それも、自分にとっては…

ああっ

自分、自分、ってうるさいねぇ。

・・・・・・・・・・

相棒が生まれる前の年、
グラストンベリーのフェスに行った時、
行き帰りの飛行機で
『存在と時間』
を読んでいた。

相棒が生まれてから、
やつを胸にのせて寝ころんでよんだのは、
アリストテレスとベルグソンだった。

ハイデガーのことをいつのまにか
読まずにいた。

『差異と反復』や
フーコーの諸編を読み直すまえに
もう1度読んでおきたいと

『存在と時間』

のちくま学芸文庫を
飛行機に持ち込んだ。

最初に読んだのが
中央公論の「世界の名著」の訳だったから
新鮮に感じた。

つまづくと、岩波文庫にあたって
ドイツ語原書に触れるという
プロフェッショナルからみたら
歪んだ読み方をしていたのだが、
それでよしとしていた。

マルクス主義現象学なんかの系統が
フランスやイタリア、アメリカのイタリア系なんかにあったので
つい関心をもった。

ドイツ人、ハイデガーそのものは
正直言って、どうでもいいと思ってた。

なんか顔が嫌いだったし、
ナチがらみのことも
すっきりしなかったから…

でも、フッサールより先に読んでおきたいと思った。

岩波とドイツ語といっしょに仏訳も
手元におきたかったのは、
ハイデガーを読みたいからではなく
1990年代に、
なんでもかんでもユダヤ人のせいにする風潮が強まり、
読んでいると冷かされるようなものとして
現象学的マルクス主義とかフーコー、ドゥルーズ、デリダなどの"流行遅れ"があって、
アラン・ブルームなんぞと声を合わせて
ニーチェとかノマドとか馬鹿にするのが大人だとか、
自虐物語が云々だとか、
人をやっつけるために「流行思想」を追うおしゃべりに
うんざりしていたから

"そんなもんじゃないだろう"

として読み返しておきたいと思った。

そのころからテレビを見なくなった。

結局相棒が生まれて
4冊の本を照らし合わせながら読むという行為は
頓挫したままだった。

文庫やソフトカバーだと読みやすいという理由だけで
ベルグソンからレヴィナスまで手を出しているうちに、
池田晶子、中島義道、内田樹なんて本が
図書館や書店に並んでいることに気付き、

カントやドゥルーズよりもヘーゲルが偉い、として、
一部の編集者が流行にしたがってた感じの
竹田青嗣や西研を蹴散らしていて、
2000年代の大学生は何を読んでいるだろう?
と素直に思ったものだった。

まさか「三太郎の日記」ではあるまい(爆笑)。

いまとなって池田晶子はサッパリと故人となっているし、
竹田なんかはカントの本を書いている。

フランス書店で6,421円だった仏訳は
いまフランスAmazonで38.09ユーロ。
日本Amasonでは売ってないけど…

ドイツ語 SEIN UND ZEIT は日本Amasonで2,430円。
ドイツAmazonで24.00ユーロ

あのころ、すごく安くなったなあ、と思って買ったものが
いまはこんな値段(苦笑)



最近、ブックオフで、
ハイデガー関係の本がもさもさ転がってたので、

ちょっと前に、ハイデガー・ブームでもあったのだろうか?
という疑いをもった。

(本当にそうだったとしたら、いやぁ、知らなかったなぁ、だ)

いろいろころがっていたけど、
河出書房新社の「道の手帖」シリーズに2009年、
「ハイデガー」の号があったのをはじめて知った。

このシリーズ、鶴見俊輔や宮本常一があって
割と面白いと思っていた。
ヘーゲルの号(『ヘーゲル入門』)は全般的には、あまり刺激がなくて、
『大論理学』そのものを読むとか、
弁証法をクソミソに罵倒しているドゥルーズを
ジジェクといっしょに読みながら
いかにドゥルーズが徹底的に弁証法的かを
地図化した方が面白いだろうに、
と思ったものだったが、
中に1編だけ、
アフリカ系の問題をとりあげた田崎英明が
とてつもなく面白かった。

ハイデガーの号では
その田崎がインタビューに答えて
フランスでのハイデガー受容について
ざっくり語っているのが面白かった。

そういう図式で、
日本における
ニーチェ、ドストエフスキー、マルクス、サルトル、フーコー、そしてハイデガーの
受容を誰か整理する人いないかなぁ、なんて、
思ってしまった。

自分で、日本語で書かれた↑に言及した書物・論文を
片っ端から読む気がまったくおきないからなんだけど…

我ながら無精だなぁ、と思いつつ、
アカデミーと関係ないし、いいよね、と。

それにしても、
ヘーゲルの人間学というか人類学というか、
人間にかかわる全宇宙学というか、
そういうものが批判されたり否定されたりというあとに、
共産党ともちがうある種のマルクス主義者が、
フッサールやハイデガーを紹介し、
アウトノミアとかの造語を提出したあとに、

日本でヘーゲルやハイデガーが読まれることって
相当、政治ではない、というか、文化ではない、
だけどスノッブな身の振り方なのだろうと思うと、

受容

なんていうものは実はなかった、
小林秀雄がドストエフスキーやモーツァルトの天才に
感想をもった、という程度にしか
読んでこなかったのではないのか?
と疑ってしまう。

でも、
どうでもいいか、そんなこと。

・・・・・・・・・・・・・

タルマーリーのパンが、
昨日、
届いた。

めちゃうまい。

今回のポイントは
黒パンらしいが、
それはまだ食べてない。

ピーナツクッキーも入っていた。
レーズンのスコーンが
めちゃおいしい。

あ〜、食べるのもったいない。

飲み込むのがもったいなくて
舌の上に滞留する小麦粉たちであった。


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